子どもの「見て」に対する対応

保育中、子どもはよく「見て」と言って、自分の作ったものや、自分のしていることを見せようとする。

その時の大人の反応が子どもの自己肯定感や自己評価の仕方に関わってくるのではないかと思っている。

「見て!」という時、子どもはだいたい自分がとてもすごいことをしていると思っていたり、素敵なもが作れたと思っていたり、楽しいかったり、素敵なものを見つけたと思っていたりすることが多い。

つまり、自分で自分を高く評価している時と言い換えることができると思う。

そのときに、「すごいね」「上手だね」ということは、子どもの「見て」と思っているものを他者が評価していることになるのではないか。

実際保育を始めて間もない頃は「すごいね」「上手だね」と褒めていたが、そのうちに褒められるために何かするような子どもの姿が出てきて、この対応でいいのだろうかと考えた。

大人が子どもを評価していると、子どもは自分のやりたいことや楽しいことではなく、大人に褒められそうなこと、評価してもらえそうなことを選んでするようになってしまうかもしれない。

もっと言えば、子どもの頃に他社評価を気にして過ごすようになったら、大人になっても自分のしたいことではなく、他社評価を気にした生き方を選んでしまうのではないか。

そして、子どもの間は「すごいね」と良い評価してもらえるかもしれないが、大人になったらそうはいかない。良い評価にも悪い評価にも晒される。その社会の中で自分のやりたいことをして自分らしく生きていくために必要なのは誰かの評価を気にせず、自分で自分をどう評価するかを大事にできる力だと思う。

その力を育てるチャンスが子どもの頃の「見て!」にあるのではないか。

「見て!」というものに対しての、大人の評価や意見を言うのではなく、その子どもがどういう気持ちで「見て!」と言っているかを想像し、その気持ちを言葉にすると子ども自身が自分をどう評価しているかを子ども自身が認識できる。

また、事実をそのまま言葉にすれば、自分が楽しいと思うことやすごいと思うことが何なのかが子どもに認識される。

たとえば、

木に高く登って嬉しそうに「見て!」という子に対しては「高いところまで登れてうれしいね!」

絵を紙いっぱいに描いて「見て!」→「たくさん描いたんだね!」

積み木を積んで嬉しそうに「見て!」→「積み木を積めてうれしいね!」

という具合である。

そのように対応することで、他社評価ではなく自己評価に子どもが触れられるし、他者からは評価されるものだという思い込みをしてしまうことも防げるのではないかと思っている。そうやって育った子どもは自分のやりたいことをやれるし、自分がどう思うかを大事しながら生きていけるのではないかと思っている。

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